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WE ARE BORN

140字で足りない文章置き場

映画『キャロル』~窓ガラスの「内側」は二人だけの世界~

 

 

 

トッド・ヘインズ監督の『キャロル』は素晴らしい映画でした。ケイト・ブランシェットの気品あふれる、完璧な美しさ、いっそ神々しい程の優雅さ、ルーニー・マーラの少女めいた可憐な佇まい、少年のような意志の強い目つき、二人の恋物語を彩る、1950年代の素晴らしい衣装と音楽、セット、そういった当然の感想は置いといて、気づいたことを忘れない内に書いておくので、良ければ少しお付き合い下さい。

 

『キャロル』(2015)と同じく1950年代のアメリカを舞台にした、同監督の過去作『エデンより彼方に』(2002)の主人公、キャシーの夫は同性愛者です。二人で病院に通い夫は「同性愛の完治」を誓います。そう、この時代のアメリカでは同性愛は病気でした。

キャロルは、そんな時代に出会って恋に落ち、自分の正直に生きようとした二人の女性と、彼女たちの愛の物語です。

本作は、テレーズ(演:ルーニー・マーラ)とキャロル(演:ケイト・ブランシェット)の心の移り変わりや、愛情の変化、生きざまが、窓ガラスを使った演出や、衣装の色彩などを通して、視覚的に表現されています。特に窓ガラスを通した演出に注視して、二人の心理を読み解きたいと思います。

 


○窓ガラスの内側は二人だけの世界

『キャロル』では、テレーズとキャロルの心の動きが窓ガラスを使って表現されています。
冒頭、男友達とタクシーでパーティーへ向かうテレーズの顔は、曇った窓ガラスごしに撮られ、ひどくぼやけています。最初は不思議な印象を受けましたが、観ていく内に気付いきました。この曇った窓ガラスごしのテレーズのアップは、キャロルを想う彼女の心を表現する演出でした。
この映画には、建物、車、電話ボックスの中にいる、ショットが数多く出て来ますが、顔がはっきり写っているのは、殆どテレーズとキャロルの二人だけです。
キャロルがテレーズのカメラを見つけるシーンも窓ガラスごしで、キャロルの運転する車の中で二人は窓ガラスごしに並んで映され、蜜月の旅行では窓ガラスはどんどん曇っていき、新聞社で働くテレーズの様子を見に来たキャロルの顔のアップもタクシーの窓ガラスごしです。
これは、テレーズとの初デート後のキャロルをアビーがこの時だけオープンルーフの車で迎えに来ることや、車に乗っている他の人物が後ろ姿や光の反射で顔がはっきり撮られていないことからも、かなり意図的な演出であると思われます。
他の人物たちがガラスごしに撮影されるのは、主に建物や車、電話ボックスの「外側」にいる人物としてです。
印象的だったのは、キャロルを無理やり連れに来てアビーに締め出されたドアの窓ガラスごしの夫ハージのアップ、そして、レコードショップの外側に立っているのをどこか他人のようにテレーズに見つめられる彼氏のリチャードのショットです。キャロルがハージ、テレーズがリチャードへもう気持ちがないことがよく分かります。
映画の前半、窓ガラスの「内側」と「外側」は徹底的に分かたれ、恋に落ちていくテレーズとキャロルの二人の愛の世界を効果的に演出しています。
そこに変化が訪れるのが旅先のホテルでテレーズとキャロルが初めて関係を持った翌日、キャロルがアビーからの電報を受け取るシーンです。(電報の内容は、ハージが雇った探偵がキャロルとテレーズが関係を持っているという証拠を掴んだ、だとかそういうものでしょうか?日本語字幕では明言されていませんが、英語台詞でははっきり言っていたのかもしれません。)
ホテルのフロントで電報を読んでいるキャロルと、フロントの壮年女性の二人を、カメラは窓ガラスごしに右から左へゆっくりと映し、二人の顔は同様に光の反射や窓ガラスの模様で顔のどこかが隠れています。キャロルとテレーズの二人の愛の世界に邪魔者が入ってきたのです。
実際にこの翌日、キャロルは娘の親権を巡る裁判の為にテレーズの前から姿を消し、手紙で彼女に別れを告げます。
ハージが雇った探偵に情事を盗聴、そして録音されていたことを知ったテレーズは車の中で狼狽え、「私がNOと言うべきだった」と自分を責めます。この時、フロントガラスごしに正面から撮られる二人はフロントガラスの中心にある窓枠で分かたれています。(なんとこのフロントガラスには中心に窓枠があったんです!私はこの時そのことに初めて気付きました)するとキャロルがテレーズに身を寄せ、「そんなことない。私が望んで、あなたの想いを受け取った」と告げて彼女を抱き締めます。この時キャロルが身を乗り出しているので、テレーズ側の一つフロントガラスの枠に二人は収まっています。これも非常に印象深い演出です。
別れている間も、キャロルを想うテレーズは窓ガラスごしのアップで表現され、テレーズへの気持ちを新たにしたキャロルも同様に曇った窓ガラスごしに撮られます。
その後、再会した二人ですが、テレーズはキャロルからの同棲の申し出を断ります。(観客はここで初めて冒頭のシーンは二人の再会シーンだったのだと知ることになります)そして、キャロルと別れたテレーズは男友達と乗るタクシーの中で曇って街の夜景を反射する窓ガラスごしの、ひどくぼやけたアップで撮られます。このことから、彼女が別れたキャロルのことを考えていることがよく分かります。この時、同乗する男友達の顔は断片的にしか映りません。
その後のパーティーにはテレーズの別れた彼氏であるリチャードや男友達たちがいます。1カット、テレーズと話し込む男友達の様子が窓ガラスごしに撮られたカットがあります。このことからテレーズはこの時点ではキャロルから離れ、外の男性に興味を持つ努力をしていたことが推察されますが、次のシーンでは、窓は二つの窓に分かれ、一つの窓には男友達たち(とカップル)、もう一つの窓にはテレーズ一人がいるという構図になっており、男性たちとテレーズは分かたれています。するとテレーズの窓に、一人の女性が入って来ます。パーティーで意味ありげにテレーズを見ていた彼女はおそらくレズビアンなのでしょう。


○鏡に己の姿を映す
テレーズは鏡に自分を映すことで自分の気持ちを確認しているのではないでしょうか?
キャロルと初めて結ばれた時、テレーズとキャロルはドレッサーの鏡で二人が並んだ姿を映しています。
そして、パーティーを抜け出し、キャロルの元に駆けつける前にも、テレーズは鏡で自分の顔を見ています。


○キャロルの纏うピンクや赤
物語の前半、キャロルは常にピンクや赤の服を纏っています。特に象徴的なのが、彼女のコーラルピンクのネイルです。彼女はその手でテレーズに何度も触れます。
ところがテレーズと別れたキャロルはこのピンク色のネイルをやめてしまうのです。着る服も緑や、紺色、黒になり、赤やピンクを一切着なくなります。
キャロルが、写真の才能を活かして新聞社で働きだしたテレーズをこっそり見つめるシーンで、テレーズは赤いコートを着ていました。ちなみに、紺色や黒はテレーズの方がよく着ている色です。このシーンでは二人のまとう色彩が逆転しています。
関係が破綻してもなお子供を使ってキャロルを束縛しようとするハースに、「自分らしく生きられなければ意味がない」とキャロルが言う場面があります。
おそらく彼女が身にまとう赤やピンクは彼女の「自分らしい生き方」を表していたのでしょう。

新生活を始め、テレーズと再会したシーンで去り際に彼女の肩に触れたキャロルの手には、コーラルピンクの爪は復活しています。

 

 

このように映画『キャロル』では窓ガラスを使った演出で、内側と外側、窓枠を隔てることでテレーズやキャロルの愛情や、恋愛関係を効果的に演出しています。更に服装や色彩で自分らしく自由に生きる女性キャロルや、彼女に影響されたテレーズの変化を感じられます。

窓ガラスの内側と外側は、決して同性愛と異性愛で隔てられている訳ではありません。そして、女性と男性で隔てられているわけでもありません。ただテレーズとキャロル、この運命の恋人同士である二人とそれ以外を隔てています。

キャロルに恋をしたテレーズは恋人のリチャードに同性同士の恋愛についてどう思うか聞きます。リチャードが「男が好きな連中の話だろ」と言うと、彼女は「男性と男性が、二人の人間が出会って、恋に落ちるってそういう話」と訂正します。これが、監督の考え方なのではないかと私は思いました。同性愛や異性愛と特異性を持って区切ることではなく、ただ人と人が出会って恋に落ちる、それだけのことなのだと。

キャロルは「自分らしく生きなければ意味がない」と口にします。愛していない夫との離婚を決意し、ピンクや赤の服をまとったコーラルピンクのネイルのキャロルは、優雅で美しく魅力的です。反対に自分を偽り、ネイルをやめ緑や紺、黒をまとうキャロルは彼女らしい輝きを失っています。これは彼女の美しさや魅力は、自分らしく生きていることから出る美しさであり、それこそがテレーズがキャロルに惹かれた一番の理由なのではないでしょうか?

現代とは比べられない位、女性が一人で身を立てていくのは難しい時代です。そんな中で、キャロルに恋をしたテレーズは、周囲の助けを借り、自らの写真の才能を開花させて行き、ニューヨークタイムズで働くようになります。新聞社で働くテレーズはキャロルのように赤い口紅を引いたり、髪をウェーヴさせたりと見た目にも変化が生まれます。

1950年代でなくとも「自分らしく生きる」というのは、現代でもなかなか簡単なことではありません。

二人の女性が自分らしく生きようと必死でもがきながら、お互いを愛する、このロマンティックでドラマティックな愛の物語が、私を含む全ての人間に「自分らしく生きる」勇気を与え、少しだけ背中を押してくれる、そんな映画だと思いました。

 

 

P.S. 夜のニューヨークタイムズでテレーズがダニーにキスされるシーンが窓ガラス越しだったかどうかは記憶がありません。あと、鏡のシーンも前半にもう一回あったような気がします。これは…要確認ですねえ。