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【『オアシス』20周年記念盤 日本最速先行試聴会】レポート (再掲)

 

【『オアシス』20周年記念盤 日本最速先行試聴会】レポート
日時:2014年4月29日18:00~20:00
場所:SONY MUSIC STUDIO TOKYO
MC:サッシャ
ゲスト:妹沢奈美(音楽ジャーナリスト)


 ※oasisのドキュメンタリー映画『OASIS:SUPERSONIC』の公開記念に再掲載します。

オアシス 20周年記念 デラックス・エディション(完全生産限定盤)

オアシス 20周年記念 デラックス・エディション(完全生産限定盤)

 

 

*『オアシス』20周年記念盤発売を記念した、先行試聴会。普段、アーティストがレコーディングをやっているスタジオ。中にいるのは、MCとゲスト、数名のスタッフの他、応募して集められた20名弱のオアシスファンのみ。
下は18歳、上は50代、デビュー当時からのファンから、ベスト盤でオアシスにハマった新しいファンまで、様々な年齢の男女が入り交じっています。共通点は「オアシスが好き!」というそれ一つだけ!
妹沢さんがデラックス盤から選んだ曲を聴きながら、裏話を聞いていく形式。

サッシャ(以下サ)「我々先に聴かせていただいたんですが、びっくりしましたね。
 リアムの声がこもってる!」
妹沢(以下妹)「ねえ。今までこもってるなんて思わなかったけど、昔はほかの音にまぎれていた声が立ってるから」
サ「これ、凄い。リアムがマイクの前で立って、歌っている感じがしますね!」
妹「今回思ったのは、トニー・マッキャロルのドラムってインディー感があっていいなと思った。下手なだけじゃなくてね」

◆"WHATEVER"ストリングスバージョン
サ「マニアック!」
妹「初めて聴いた時、泣いてしまった。ノエル、これ聴いた時うれしかったろうなあって。
 泣かせようと思ったの。」
妹「マーク・コイル(※1stのプロデューサー。メンバーから絶大な信頼を得ていた)がテープでえいってとったものなんですって」
サ「最後に日本のおみこしのワッショイが入ってるの気づいた?」
よく聞くと、曲の最後におみこしを担ぐ「ワッショイ!」という声が入っている…!
妹「わーって言ってるだけだと思ってた」
(試聴後)
涙を流す人がチラホラと…
妹「ねえー、泣いちゃうでしょう?w」

◆"SUPERSONIC"
再発レコードの話。ロゴが"CRIATION"ではなく、"big brother"に!

◆"GIGGY'S DINNER"
サ「ディナーじゃなくダイナー(笑)まだそのままなんですけどね」

◆"SLIDE AWAY"
妹「キャンペーン名の"CHASING THE SUN"が入っている。初期はsunが入る歌詞が多くて、彼はとてもつらい環境で育って、音楽にたすけられたから。sunはノエルにとっての音楽なのかなって。これをテーマにライナーノーツを書いたから、読んでくださーい」
「マーク・コイル曰く、ノエルは一回しか歌わないが、その一回でリアムは抑揚まで全部覚える。兄弟ならではの奇跡」
(試聴後)
サ「改めてノエルってギターが好きだよね。どんだけダブ入れるんだっていう!」

◆"(IT’S GOOD) TO BE FREE"
オーウェンがツアー中アメリカに呼ばれて録った。ノエルがリアムと喧嘩して雲隠れしてた事件の時。なんとか探し出して録った。

◆"SAD SONG"(WHATEVERのC/W)
モーニング・グローリーの雰囲気

◆"LIVE FOREVER"パリでのインストアライブ(!)
信じられないことに、パリのレコード店でインストアライブをやっていた。
兄「this song's called "live forever"」
弟「this song's called "live forever"」
兄「this song's called "live forever"」
弟「this song's called "live forever"」
なんと!オーウェンが切った、ノエルのギターのイントロが聴ける!


◆"CIGARETTES&ALCOHOL"
妹「最初リアムはにゃーなんて言ってなかった。リアムの歌い方が確立された、転換となる曲。シャァアアイインと歌い始めた時、ノエルはとても驚いたそう。
 マーク曰く、その頃の兄弟はとても仲が良かったんですって。ノエルはとてもリアムをかわいがっていたし、リアムはお兄ちゃんが大好きだったよーって。リアムはねえ、兄貴をとても尊敬していたのよね。
 初期はとても素直に歌っていたリアム。その彼がこのオアシス節っていう歌い方になったのは、リアムが兄の曲を届けたくてどんどん作り上げていったの。大好きなお兄ちゃんの歌をもっとうまく歌いたくて、リアムはうまくなった」

◆"STRANGE THINGS"
デビュー直前に作っていたデモテープ収録曲。
妹「私、オアシスはマンチェスターのバンドなのに、マッドチェスターの雰囲気がないなって思ってたけど、これには」
サ「マッドチェスターの雰囲気がある」
リアムの歌い方がとても幼くて素直。初期のリアムの歌い方を伺い知れる貴重な音源。

◆"MARRIED WITH CHILDREN"
妹「マーク・コイルが一番好きな曲。実はマーク・コイルの寝室でとったの。デモみたいな音源で、それをわざと残してる。彼が見せたかったそのころのオアシスの全てが詰まっているんですよね」

◆"HALF THE WORLD AWAY"
妹「初来日時に日本のホテルで録音したのが数ある中で最初のver。これね、oasis史が変わる出来事ですよね。(今まではノエルが失踪したアメリカツアー中の辛さを歌った曲と言われていたため)
 マーク・コイル曰く、生まれたての赤ちゃんみたいにきれいな状態、ですって」



ここからは、曲ごとでまとめられない秘蔵の裏話をご紹介。
◎『MORNING GLORY』ジャパンツアー時の取材
妹「私が『rock'n on』にいた頃、通訳として当時の編集長の増井修さんに同行してたのね。
 部屋に行ったら、ノエルとギグジーとアラン・ホワイトがフットボールして遊んでて。リアムはどこって聞いたら"部屋で泣いてる"って」
サ「部屋で泣いてる!?」
妹「私も又聞きだから正確ではないかもしれないけど、スタッフに聞いたら"お兄ちゃんと喧嘩した"んですって(笑)」
サ「えっお兄ちゃんと喧嘩して泣いてたの?いい大人が!?」
妹「それで、廊下にボーンヘッドがいて…。その頃、私は若かったから"あっボーンヘッドだ!"って言っちゃったの。そしたら、ボーンヘッドは"そうだよ、ボーンヘッドだよ"ってハグしてくれたの…!」
ボーンヘッド!さすがoasis一の紳士…!
妹「部屋に入ったら、リアムは大音量でジョン・レノンを聴きながらむっつりした顔でじっと聴いてたの。
 それで、増井さんが"君の声はジョン・ライドンイアン・ブラウンを混ぜて割った感じだね。"って言ったら、リアムは"俺はイアン・ブラウンほど音痴じゃねえ"って」
セカンドアルバムのレコーディング中に、ノエルとリアムが喧嘩になり、リアムが殴りかかって来たので、ノエルはクリケットバットで応戦して窓から逃げたという話がありましたね。スタッフが発見したら、リアムは座り込んで泣いていたと。
ノエルは他のスタッフの車に乗り込み「俺を守ってくれ」と言っていたそう。
他のオアシス伝説と同様、真偽のほどは不明です。

◎ノエルがラジオのゲストで来てくれた時の話
サ「俺、大ファンだからCD持っていってて、サインくださいって言いたかったんだけど、言えなくなっちゃってさ。そしたら、ノエルが自分から"サインほしいんだろ?"って言って、サインしてくれたの。
 もうそれ以来、俺はノエル派!リアムとノエルが喧嘩しても、絶対ノエルの味方!w」

◎2005年サマソニ、オアシス遅延事件の真相は?
妹「2005年のサマソニに来た人~!」
パラパラと上がる手。
妹「これね、司会として現場にいたサッシャさんに真相を聞いてみましょう」
サ「今までの仮説はですね、
  1.兄弟で喧嘩してた。
  2.THE LA'Sを観てた。
 こんなところですよね?その場にいた僕が誓って言います。
 彼らはちょっと定刻を遅れたけど、ほぼ定刻通りにステージ入りしてました。でも機材に電源を入れたら電気が落ちたんです。その間、みんな落ち着いてピースフルな雰囲気で、もちろん喧嘩もなく、ノエルはギター弾いてて、ずっと全員でバンにいたの。俺はその時、なんていい人たちなんだと。
 でも、少し遅れて入ったから…一曲くらい聴いてから来たのかもね(笑)」
オアシス史が変わる真相です!なんと!リアムが尊敬する先輩バンドTHE LA'Sを観てたから1時間遅れた訳ではなかった…!!



感想:
あっと言う間の二時間でした。
曲の解説から、オアシス史の定説を覆すエピソードまで、オアシスファンならば、よだれを垂らしそうになる裏話が満載です。
一体いくらなの?という高価な機材で、すばらしい音響で聴いた『オアシス』こと『DEFINITELY MAYBE』のリマスター盤。
素晴らしかったです。掛け値なしに素晴らしかったです。
音の一つ一つがはっきりと立ち上がり、まるでメンバーが目の前にいるようでした。目を瞑ると二十歳になるかならないかのリアムがマイクの前に立っている様子が浮かぶよう!
私はノエルのことがとても好きなんですが、新しい姿のオシスナンバーからは、当時のノエルのヒリヒリした焦燥感や、音楽への情熱、ギターへの変わらぬ敬愛が改めて実感できました。
妹沢さんもトークショーで仰ってましたが、ノエルはマンチェスターの何もない郊外で、アル中の父親に兄弟の中でボコボコにされながら育ち、中学も中退し、そんな中で彼にとっての音楽がどれだけの希望であり、救いだったことでしょう。負の力を天賦の才で音楽作品へと昇華して、彼は素晴らしい作品を生み出しまし、世界中を熱狂させました。
私が彼を好きなのは、まさにこういうところなのです。
ツンデレで皮肉屋で商売人で、おまけに長男ポール曰く「子供の頃から虚言癖の気があった」ノエルはインタビューでも、なかなか偽らざる本心を語りません。そんな彼が心の内を吐露する場所、それは歌詞です。
歌詞ではノエルが孤独や不安を吐露したり、身近な人への愛を素直に表現したりします。

我々女子オアシスファンがお姉さんのように慕っていた、妹沢奈美さんが「歌詞にでてくるSUNとは音楽なのでは?」という観点から書いているという日本版ライナーノーツ…必見です!
妹沢さんの師匠のような存在である増井修さんのオリジナルと並んで収録されるので「震えながら書いた」そう。
本当に未収録音源が素晴らしいので、オアシスファンにはデラックス版がおすすめです。

 


2014/4/30(2017/1/2 再掲)

映画『キャロル』~窓ガラスの「内側」は二人だけの世界~

 

 

 

トッド・ヘインズ監督の『キャロル』は素晴らしい映画でした。ケイト・ブランシェットの気品あふれる、完璧な美しさ、いっそ神々しい程の優雅さ、ルーニー・マーラの少女めいた可憐な佇まい、少年のような意志の強い目つき、二人の恋物語を彩る、1950年代の素晴らしい衣装と音楽、セット、そういった当然の感想は置いといて、気づいたことを忘れない内に書いておくので、良ければ少しお付き合い下さい。

 

『キャロル』(2015)と同じく1950年代のアメリカを舞台にした、同監督の過去作『エデンより彼方に』(2002)の主人公、キャシーの夫は同性愛者です。二人で病院に通い夫は「同性愛の完治」を誓います。そう、この時代のアメリカでは同性愛は病気でした。

キャロルは、そんな時代に出会って恋に落ち、自分の正直に生きようとした二人の女性と、彼女たちの愛の物語です。

本作は、テレーズ(演:ルーニー・マーラ)とキャロル(演:ケイト・ブランシェット)の心の移り変わりや、愛情の変化、生きざまが、窓ガラスを使った演出や、衣装の色彩などを通して、視覚的に表現されています。特に窓ガラスを通した演出に注視して、二人の心理を読み解きたいと思います。

 


○窓ガラスの内側は二人だけの世界

『キャロル』では、テレーズとキャロルの心の動きが窓ガラスを使って表現されています。
冒頭、男友達とタクシーでパーティーへ向かうテレーズの顔は、曇った窓ガラスごしに撮られ、ひどくぼやけています。最初は不思議な印象を受けましたが、観ていく内に気付いきました。この曇った窓ガラスごしのテレーズのアップは、キャロルを想う彼女の心を表現する演出でした。
この映画には、建物、車、電話ボックスの中にいる、ショットが数多く出て来ますが、顔がはっきり写っているのは、殆どテレーズとキャロルの二人だけです。
キャロルがテレーズのカメラを見つけるシーンも窓ガラスごしで、キャロルの運転する車の中で二人は窓ガラスごしに並んで映され、蜜月の旅行では窓ガラスはどんどん曇っていき、新聞社で働くテレーズの様子を見に来たキャロルの顔のアップもタクシーの窓ガラスごしです。
これは、テレーズとの初デート後のキャロルをアビーがこの時だけオープンルーフの車で迎えに来ることや、車に乗っている他の人物が後ろ姿や光の反射で顔がはっきり撮られていないことからも、かなり意図的な演出であると思われます。
他の人物たちがガラスごしに撮影されるのは、主に建物や車、電話ボックスの「外側」にいる人物としてです。
印象的だったのは、キャロルを無理やり連れに来てアビーに締め出されたドアの窓ガラスごしの夫ハージのアップ、そして、レコードショップの外側に立っているのをどこか他人のようにテレーズに見つめられる彼氏のリチャードのショットです。キャロルがハージ、テレーズがリチャードへもう気持ちがないことがよく分かります。
映画の前半、窓ガラスの「内側」と「外側」は徹底的に分かたれ、恋に落ちていくテレーズとキャロルの二人の愛の世界を効果的に演出しています。
そこに変化が訪れるのが旅先のホテルでテレーズとキャロルが初めて関係を持った翌日、キャロルがアビーからの電報を受け取るシーンです。(電報の内容は、ハージが雇った探偵がキャロルとテレーズが関係を持っているという証拠を掴んだ、だとかそういうものでしょうか?日本語字幕では明言されていませんが、英語台詞でははっきり言っていたのかもしれません。)
ホテルのフロントで電報を読んでいるキャロルと、フロントの壮年女性の二人を、カメラは窓ガラスごしに右から左へゆっくりと映し、二人の顔は同様に光の反射や窓ガラスの模様で顔のどこかが隠れています。キャロルとテレーズの二人の愛の世界に邪魔者が入ってきたのです。
実際にこの翌日、キャロルは娘の親権を巡る裁判の為にテレーズの前から姿を消し、手紙で彼女に別れを告げます。
ハージが雇った探偵に情事を盗聴、そして録音されていたことを知ったテレーズは車の中で狼狽え、「私がNOと言うべきだった」と自分を責めます。この時、フロントガラスごしに正面から撮られる二人はフロントガラスの中心にある窓枠で分かたれています。(なんとこのフロントガラスには中心に窓枠があったんです!私はこの時そのことに初めて気付きました)するとキャロルがテレーズに身を寄せ、「そんなことない。私が望んで、あなたの想いを受け取った」と告げて彼女を抱き締めます。この時キャロルが身を乗り出しているので、テレーズ側の一つフロントガラスの枠に二人は収まっています。これも非常に印象深い演出です。
別れている間も、キャロルを想うテレーズは窓ガラスごしのアップで表現され、テレーズへの気持ちを新たにしたキャロルも同様に曇った窓ガラスごしに撮られます。
その後、再会した二人ですが、テレーズはキャロルからの同棲の申し出を断ります。(観客はここで初めて冒頭のシーンは二人の再会シーンだったのだと知ることになります)そして、キャロルと別れたテレーズは男友達と乗るタクシーの中で曇って街の夜景を反射する窓ガラスごしの、ひどくぼやけたアップで撮られます。このことから、彼女が別れたキャロルのことを考えていることがよく分かります。この時、同乗する男友達の顔は断片的にしか映りません。
その後のパーティーにはテレーズの別れた彼氏であるリチャードや男友達たちがいます。1カット、テレーズと話し込む男友達の様子が窓ガラスごしに撮られたカットがあります。このことからテレーズはこの時点ではキャロルから離れ、外の男性に興味を持つ努力をしていたことが推察されますが、次のシーンでは、窓は二つの窓に分かれ、一つの窓には男友達たち(とカップル)、もう一つの窓にはテレーズ一人がいるという構図になっており、男性たちとテレーズは分かたれています。するとテレーズの窓に、一人の女性が入って来ます。パーティーで意味ありげにテレーズを見ていた彼女はおそらくレズビアンなのでしょう。


○鏡に己の姿を映す
テレーズは鏡に自分を映すことで自分の気持ちを確認しているのではないでしょうか?
キャロルと初めて結ばれた時、テレーズとキャロルはドレッサーの鏡で二人が並んだ姿を映しています。
そして、パーティーを抜け出し、キャロルの元に駆けつける前にも、テレーズは鏡で自分の顔を見ています。


○キャロルの纏うピンクや赤
物語の前半、キャロルは常にピンクや赤の服を纏っています。特に象徴的なのが、彼女のコーラルピンクのネイルです。彼女はその手でテレーズに何度も触れます。
ところがテレーズと別れたキャロルはこのピンク色のネイルをやめてしまうのです。着る服も緑や、紺色、黒になり、赤やピンクを一切着なくなります。
キャロルが、写真の才能を活かして新聞社で働きだしたテレーズをこっそり見つめるシーンで、テレーズは赤いコートを着ていました。ちなみに、紺色や黒はテレーズの方がよく着ている色です。このシーンでは二人のまとう色彩が逆転しています。
関係が破綻してもなお子供を使ってキャロルを束縛しようとするハースに、「自分らしく生きられなければ意味がない」とキャロルが言う場面があります。
おそらく彼女が身にまとう赤やピンクは彼女の「自分らしい生き方」を表していたのでしょう。

新生活を始め、テレーズと再会したシーンで去り際に彼女の肩に触れたキャロルの手には、コーラルピンクの爪は復活しています。

 

 

このように映画『キャロル』では窓ガラスを使った演出で、内側と外側、窓枠を隔てることでテレーズやキャロルの愛情や、恋愛関係を効果的に演出しています。更に服装や色彩で自分らしく自由に生きる女性キャロルや、彼女に影響されたテレーズの変化を感じられます。

窓ガラスの内側と外側は、決して同性愛と異性愛で隔てられている訳ではありません。そして、女性と男性で隔てられているわけでもありません。ただテレーズとキャロル、この運命の恋人同士である二人とそれ以外を隔てています。

キャロルに恋をしたテレーズは恋人のリチャードに同性同士の恋愛についてどう思うか聞きます。リチャードが「男が好きな連中の話だろ」と言うと、彼女は「男性と男性が、二人の人間が出会って、恋に落ちるってそういう話」と訂正します。これが、監督の考え方なのではないかと私は思いました。同性愛や異性愛と特異性を持って区切ることではなく、ただ人と人が出会って恋に落ちる、それだけのことなのだと。

キャロルは「自分らしく生きなければ意味がない」と口にします。愛していない夫との離婚を決意し、ピンクや赤の服をまとったコーラルピンクのネイルのキャロルは、優雅で美しく魅力的です。反対に自分を偽り、ネイルをやめ緑や紺、黒をまとうキャロルは彼女らしい輝きを失っています。これは彼女の美しさや魅力は、自分らしく生きていることから出る美しさであり、それこそがテレーズがキャロルに惹かれた一番の理由なのではないでしょうか?

現代とは比べられない位、女性が一人で身を立てていくのは難しい時代です。そんな中で、キャロルに恋をしたテレーズは、周囲の助けを借り、自らの写真の才能を開花させて行き、ニューヨークタイムズで働くようになります。新聞社で働くテレーズはキャロルのように赤い口紅を引いたり、髪をウェーヴさせたりと見た目にも変化が生まれます。

1950年代でなくとも「自分らしく生きる」というのは、現代でもなかなか簡単なことではありません。

二人の女性が自分らしく生きようと必死でもがきながら、お互いを愛する、このロマンティックでドラマティックな愛の物語が、私を含む全ての人間に「自分らしく生きる」勇気を与え、少しだけ背中を押してくれる、そんな映画だと思いました。

 

 

P.S. 夜のニューヨークタイムズでテレーズがダニーにキスされるシーンが窓ガラス越しだったかどうかは記憶がありません。あと、鏡のシーンも前半にもう一回あったような気がします。これは…要確認ですねえ。

映画『新しき世界』  アウトサイダーが作る「新世界」 ―参考文献・資料

<参考文献・資料>

李文雄(訳:都知美)『血縁観の持続と変容―現代韓国の親族関係―』
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/2006/data/pdf_zasshi03/14lee.pdf (アクセス日 2014年3月27日)

金 泰勲『韓国の大学入試制度に関する考察』

http://ci.nii.ac.jp/els/110007324881.pdf?id=ART0009177833&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1395719851&cp= (アクセス日 2014年3月27日)

金 恵成『韓国の「青年失業」問題』(アクセス日 2014年3月27日)

http://library.tourism.ac.jp/no.3HyeSeongKim.pdf

金 恵成『韓国における雇用形態別賃金格差の要因分析』(アクセス日 2014年3月27日)

http://library.tourism.ac.jp/no.3HyeSeongKim.pdf

『heraldbiz』「‘신세계’박훈정감독“대중취향맞추는일가장어려워” (인터뷰)」
http://m.heraldbiz.com/view.php?ud=20130304000918 (アクセス日 2014年3月18日)

「신세계연변거지…“이렇게오싹한거지를봤나”」(アクセス日2014年6月8日)

http://biz.heraldcorp.com/view.php?ud=20130306001058

『Movie Daum』「'신세계' 박훈정감독밝힌엔딩장면의모든것」(アクセス日2014年6月8日)

http://movie.daum.net/movieperson/ArticleRead.do?personId=207324&articleId=1753894&type=total&t__nil_main_news=text

『Extreme Movie』「‘신세계’박훈정 감독인터뷰」(アクセス日2014年6月8日)

http://www.extmovie.com/xe/article/55561

邦訳:斧子さん(アクセス日2014年6月8日)

http://www.twitlonger.com/show/n_1s1s83g

『cine21』[박훈정] 나는악독한작가였다(アクセス日2014年6月8日)

http://www.cine21.com/news/view/mag_id/64983

『hani.co.kr』“17살때부터쓴시나리오수백편…소재고갈걱정은없어요” (アクセス日2014年9月8日)

http://m.hani.co.kr/arti/culture/movie/577393.html

신세계 GV 다녀왔습니다!(アクセス日2014年6月8日)

http://www.maxmovie.com/sisa/sisa_preview.asp?Code=1031&SEQ=87307
斧子さん @onomushi:
http://www.twitlonger.com/show/n_1s0ed4o (アクセス日 2014年3月18日)

かじろーさん @cyborg072:

http://www.twitlonger.com/show/n_1s0mftk (アクセス日 2014年3月18日)

チグリスさん @chigurisu_nw: 広島でも新世界始まるっつーから「仁義なき戦い」と新世界の違いについて考えたことなどを思い出す。21:28 - 2014年3月20日

金子信雄演じる組長は、「義理」とか「人情」とか「恩義」みたいな、目に見えないもやもやした柔らかい圧力で若い菅原文太たちを意のままにしようとする、旧態依然とした「日本社会」の象徴そのものだった 21:31 - 2014年3月20日

その柔らかい圧力のことを深作欣二は「仁義」と呼んでいたんじゃないかな。だからタイトルが「仁義なき戦い」なんです。 21:32 - 2014年3月20日

圧力を跳ね返し、父親である組長を殺し、血まみれの疾走を続ける仁義なき戦いはヤクザ映画の皮をかぶった青春映画だった。仁義に絡めとられそうになりながらもちぎっては投げちぎっては投げ、彼らは全力で青春を駆け抜けた。 21:34 - 2014年3月20日

でも新世界にはそんな爽快感はない。青春映画であることには違いないけど、父親殺しの果てにあるのは喪失をともなう苦い成長だった。このへん「ソーシャル・ネットワーク」にも似てる。 21:36 - 2014年3月20日

この違いはなんなのかな、と思うんだけど、正直よくわかりません。韓国映画だから?父親殺しの罪が、わたしたちの考えるよりずって重たい国だからかな。だけど男の子は、父親を殺さないことには大人にはなれない。その矛盾がすごく重たく全体を覆ってる。 21:40 - 2014年3月20日

えまさん @zettaianzen: 彼女のこのタフネスを裏打ちしていたものは何だったのかというと、それこそが"父への忠誠"だった部分あるんじゃね~の…って気がしてる。(そういえば、(おそらく)ソンムとシヌの殉職のことを指して「小さな犠牲」と言った局長と、課長の関係も気になるね~)2014年2月26日 - 5:22pm

映画『新しき世界』  アウトサイダーが作る「新世界」 ―結論

結論

 

 映画『新しき世界』では、ヤクザの権力争いの中で、旧世代と新世代の衝突の果てに、韓国華僑の集団・北大門組という韓国社会にとっての第三者である若き異邦人の集団が勝利をおさめます。そして、北大門組の一人、潜入捜査官のイ・ジャソンは「父」なる警官と、「兄」であるヤクザの間で揺れ動き、息子や仲間の死、「父」の弱体化を目の当たりにし、「兄」の無条件の愛に触れることで、「父」を殺すに至り、最後には会長という頂点に上り詰めます。そこに至る登場人物の心情の変化が、マジョリティーの韓国人ヤクザであるジュングとチョン・チョンやジャソンが対照的に描かれることにより、様々な演出で巧みに表現されています。

 これは二つの世界で揺れ動いたが故にどちらにも完全には所属できなかった、孤独なアウトサイダーである主人公が「兄」から無償の愛を受け、ありのままの自分を肯定されたことでより強い人間として生まれ変わり、権力を得て仲間と共に旧来の体制を破壊する物語でもあります。

 この孤独なアウトサイダーは、本作の監督であるパク・フンジョンの分身であると私は考えています。

 二つの世界で揺れ動く主人公というのはパク・フンジョン作品によく使われる主題です。『悪魔を見た』の主人公は、人を殺すのを何とも思わない「怪物」と良心を持った「人間」の狭間で揺れ動き、『生き残るための3つの取引』で主人公は出世欲と人情の間で揺れ動きます。

 パク・フンジョン監督はインタビューで映画業界のシナリオ作家、及びスタッフの待遇の悪さと、当時の副業について語っています。

「実際映画で食べていけるようになってから、まだ5、6年ほどです。一時期やめようと思ったこともありましたが、ホームレス同然の人間なんて映画現場ではざらでした。」

「それで代わりに漫画ストーリー作家として2年ほど仕事をすることになったのです。(中略)映画の場合、シナリオ作業をたくさんしたものの、お金を受け取った記憶がありません。漫画の方は金額の大小に関わらず、約束した日に約束どおりの金額が通帳に入ります。ある時は、あらかじめお金が入っていました。支給日が土曜日であるにも関わらず、金曜日に入金されていたので驚いて、「なんでお金が入ってるんですか?」と、電話をかけたら「明日が週末なので送金しました」と言われ、そのときは本当に感動しました。漫画の仕事をしながらも、シナリオは書き続けていました」*1

 映画への情熱と現実的な生活の間で揺れ動いた彼自身の苦悩が、映画の中で表現されているのかもしれません。

 最終勝利者は、暗黒街のマジョリティーであるイ・ジュングでも、北大門組の元組長のチョン・チョンでもなく、捜査官であるがために北大門組にすら終盤まで所属できなかったイ・ジャソンです。これにはパク・フンジョンの「より強い孤独に耐えた者だけが、生き残り、旧い体制を打壊すことができる」という、メッセージが読み取れます。

 実際、パク・フンジョンもアウトサイダー的側面を持った人物であると言えます。彼は二つの大学に通い、軍隊にも入りましたが、どれもしっくり来ず最終的には大学中退という道を選んでいます。*2また、パク・フンジョンは映画学校には入らず、独学でシナリオの勉強をしました。韓国の学歴社会の苛烈さは前述の通りですが、それは映画業界も例外ではありません。*3映画業界でシナリオ作家としてキャリアを始め、初の監督作品が公開したのが39歳の時です。[1]これは並大抵の苦労ではなかったことでしょう。

 ジャソンがチョン・チョンに存在そのものを肯定された時、ジャソンの心の動きを通して、観客である我々自身もありのままの自分を受容される感動を味わうことができます。監督が肯定したかったのは、おそらく己自身です。

 作者本人の感情が伴わないものに深い感動はあり得ません。観客の一人である私が、この映画に惹かれて止まない理由は、おそらくパク・フンジョン自身の苦悩と無償の愛で肯定されそこから解放される感動が、ジャソンとチョン・チョンらキャラクターの姿を通して画面に映り込んでいることにあります。


 第一章では、現代韓国社会の家族の崩壊と変容について言及して来ましたが、この映画に煙草を吸っている女性はいません。これは、北大門組のような異邦人の新しい「家族」も、新しい父系集団の一形態に過ぎないからです。拷問にかけられてすら自分の職務をまっとうし口を割らなかった捜査官のシヌも、カン課長から遣わされたスパイでありながらジャソンを愛するようになった妻のジュギュンも、煙草を吸うショットは一度もありません。

 新しいリーダーとなったジャソンの作る「新世界」では彼女たちの立場はどうなっていくのでしょうか。後日譚としての続編があればそのことにも注目して考察していきたいと思います。

 

 カン課長、コ局長という自分の正体を知る警官二人を殺害させたイ・ジャソンは、ゴールドムーン社の会長になります。この会議でジャソンはライターとランボルギーニの赤い煙草のパッケージを堂々とテーブルに置きます。

 そして、会長席でチョン・チョンに託された自分が警官である唯一の証拠を燃やし、ビルの高みから外を見下ろしながら、深々と煙草を吸うのです。

 ゴールドムーン社の会長という高みで、ジャソンが回想するのは二人の人物との思い出です。

 一つは10年前のカン課長との出会い。パトカーの中で制服を着たジャソンに、カン課長は「俺と仕事をしよう」と言って警官としての彼の調査書を丸めて窓の外に捨てます。

 もう一つは、前述の6年前の麗水です。敵対する組織への殴り込みに、チョン・チョンとたった二人で出向いたジャソンは、返り血を浴びてチョンと煙草を分け合います。ライターはつきません。しかし、ライターを捨てたジャソンは、火のついてない煙草を噛み、歯を見せて笑います。それも悪くないというように。

 ジャソンは確かにチョン・チョンにより存在そのものを肯定されるという経験をしました。しかし、警官とヤクザ、双方の自分を知っていた「父」のカン課長は自分が殺し、息子は不慮の事故で失い、「兄」チョン・チョンはカン課長とジュングの手下によって殺されました。会長イ・ジャソンはたった一人で権力の高みに座っています。「兄」とのかつての輝くような記憶を抱いて、いっそう孤独に生きていくのです。

*1:『dongA.com』‘신세계’감독박훈정 “정치하는깡패들통해권력이뭔지묻고싶었죠”

http://news.donga.com/Main/3/all/20130321/53883586/1 (アクセス日 2014年9月8日)

*2: 『dongA.com』‘신세계’감독박훈정 “정치하는깡패들통해권력이뭔지묻고싶었죠”

http://news.donga.com/Main/3/all/20130321/53883586/1 (アクセス日 2014年9月8日) 

*3:『 livedoor News』韓国映画初のベネチア金獅子賞受賞、キム・ギドク監督『ピエタ』日本公開決定! http://news.livedoor.com/article/detail/7167995/ (アクセス日 2014年9月9日) 

映画『新しき世界』  アウトサイダーが作る「新世界」 ―第二章 ジャソンの選択

第二章 ジャソンの選択

 第一節 揺れ動くジャソン

 

 ジャソンは本編で火のついていない煙草をただ咥えるという行動を度々取ります。このジャソンの行為について監督は、

「イ・ジャソンはおびえ・不安でタバコを吸うことができなかったが、最後の場面になって安心して煙草を吸うことができた」*1

と語っています。

 ジャソンの不安とはなんだったのでしょう。ジャソンが喫煙に至る心の動きを、煙草の演出を中心に読み解きます。

 ジャソンは最初から咥えた煙草に火をつけない人物ではありませんでした。六年前の麗水で兄貴分のチョン・チョンと共に敵対組織への襲撃に向かう前のシーンでは、火のついた煙草を吸いながら歩いています。

 それが、ある出来事がきっかけで煙草にライターで火をつけることができなくなります。

 ここで火をつけて喫煙をするショットのある人物と、火をつけないでただくわえるショットのある人物を整理しましょう。

 

【火をつけて喫煙するシーンのある人物】 

1.チョン・チョン

2.カン課長

3.イ・ジュング

5.コ局長

4.ソンム

6.六年前の麗水のイ・ジャソン、会長になったイ・ジャソン

 

【火のついていない煙草をただくわえている人物】

1.上記以外のイ・ジャソン(3回)

2.チョン・チョン(1回)

3.コ局長(1回)

 

 この映画では、主要人物の男性はほぼ全員煙草を吸っています。ヤクザも、警察組織の人物も関係ありません。

 イ・ジャソンが喫煙するシーンは、この映画の中で2箇所です。それは、6年前の麗水でチョン・チョンとの待ち合わせ場所に向かう場面*2と、そして組の会長になり高層ビル上層階にある会長席から窓下を見下ろすジャソン*3、この2場面です。

 この6年の間、映画ではジャソンが煙草に火をつけて吸うシーンはありません。

 火のついていない煙草をくわえる行為を、監督は「不安」の象徴だと明言しています。

 6年前の麗水にいたジャソンが、煙草に火を付けられなくなるきっかけ──それはチョン・チョンとの敵対組織への襲撃です。

 まだスーツを着ていない若いジャソンが、いかにもチンピラという風情の派手な柄シャツに坊主頭のチョンと、大勢の敵が待つアジトにたった二人で切り込んでいきます。無謀に見えた殴り込みがどうやら成功に終わり、服が破られ血のついたジャソン、そして同じく返り血を浴びた兄貴分のチョンは、二人で煙草を吸おうとします。ジャソンは兄貴に自分の煙草を差し出し、二人で煙草を合わせ乾杯します。ジャソンは自らのライターで、チョンの煙草に火をつけようとします。しかし、ジャソンのライターはいくら擦っても火がつきません。ジャソンはライターを捨ててしまいます。チョンは「クソ」と毒づき、すぐに火のつかない煙草を捨てて、画面からフレームアウトします。しかし、ジャソンはフレームにそのまま留まり、火のついていない煙草をくわえたまま歯を見せて笑います。*4

 ジャソンは一貫して警察とヤクザの間で揺れ動く人物として描かれています。

 ジャソンの「不安」とは、自分が警察であるとも、ヤクザであるとも言い切れない、曖昧な状態だったのではないでしょうか。それは彼の韓国華僑であるという境遇と重なり、一層孤独を強調します。

 襲撃前の喫煙から、ジャソンも該当シーンまでは自分が警察であるとはっきり自認していたことが伺えます。そのジャソンがチョンとの襲撃をきっかけに火をつけられなくなるのです。おそらくチョン・チョンがジャソンの本物の兄、そして家族になった瞬間がこの時だったのでしょう。

 これは、彼の警官かヤクザか、という自認の揺らぎが、チョン・チョンとの兄弟の絆に端を発していることを示唆しています。

 しかし、ラストシーンで、煙草に火をつけられなくなったジャソンは、火のついていない煙草を咥えたまま歯を見せて笑います。それは映画の中で一度も見せていない、心からの笑顔です。チョン・チョンとの兄弟の絆が自認の揺らぎという「不安」の発端でありながら、彼はその絆を心地の良いかけがえのないものだと感じていたのではないでしょうか。

 

 次に火のついていない煙草をジャソンがくわえるシーンは劇場公開版では以下の通りです。

 

【火のついてない煙草をくわえるシーン】 

1.冒頭、チェ理事を拷問した後(自分の煙草を取り出す)*5

2.葬式、ジュングとカン課長が揉めているのを眺めながら*6

3.6年前の麗水で襲撃後

 

 ジャソンは他の理事が警察内通者として殺される時も、ソク会長の葬式でカン課長とジュングとの一悶着を見守っている時も、火のついていない煙草をくわえて、ただ佇んでいます。自分から意見を述べたり、自ら手を下すこともなく、己が所属する二つの世界を傍観していました。

 映画の序盤で、ジャソンは潜入捜査官をやめて警察に戻り、海外勤務になることを希望しています。しかし、カン課長は次々と新たな指令を与え、ジャソンを手放そうとしません。*7

 ジャソンにとって「父」なる警察の代表がカン課長であり、「兄」であるヤクザの代表がチョン・チョンです。警官とヤクザの間で揺れるジャソンは、それを代表する二人の人物の間で揺れ動き、苦悩します。

 揺れ動く彼の心を伺わせる台詞として、同じ捜査官のシヌに吐露したこんな言葉がありました。

「ヤクザも俺を信じているのに、お前たちは違うのか。」*8

 最終的に、ジャソンはヤクザであることを選びます。

 そこに至るには、ジュングの手下に殺された、兄貴分のチョン・チョンの死、そしてその事件により間接的に流産に至った息子の仇討ちがありました。そして、ジュングの暴走はカン課長の計略であり、カンは意図したか意図せずかは別として、どちらの死にも関わっています。

 死産を示すジャソンの妻の脚を伝う血*9と、チョンが何度も刺され致命傷を負うシーンでのエレベーターの銀色の壁を伝う誰のものともとれない流血*10は、重ねて描かれます。血を分けた息子という犠牲と並列に描くことで、チョン・チョンという「兄」のジャソンにとっての重要性を強調しています。

 その後、ジャソンは正体を知りながら彼をかばい、絶命したチョン・チョンの愛情に触れ、泣きながら感情を露わにします。*11

 映画の前半部で、ジャソンはチョン・チョンからの妊娠祝い*12も、カン課長からの妊娠祝い*13も、同じように拒絶しました。しかし、この時チョン・チョンが遺した、あからさまな偽物であるペアのブランド時計を受け取り、己の右腕にはめるのです。*14

 

 

 

 

 

第二節 父の権威の失墜

 

 ジャソンが警察を裏切った、もう一つの重要な要素として、カン課長との関係の変化があります。カン課長の変化を彼と煙草の関係から読み解きます。

 この映画で、カン課長が旧来の「父」と「子」の象徴として描かれているのは第一章 第二節で述べた通りです。カン課長は高圧的な態度でジャソンに非道な命令を下し、部下を道具のように利用します。

 映画の中盤まで、カン課長はジャソンへ指示を出す時、常に煙草を吸っていました。ジャソンはカン課長に激高しながらも、いつも最後には従っていました。任務が延長になることを飲まされた時*15、チャン・スギと組むことを命じられた時*16にもカン課長の吸う煙草の煙がジャソンの顔を覆っていました。煙草の煙は、あたかも儒教的父系社会の権威の象徴のように、ジャソンから抵抗の意志を奪い、従わせます。

 カン課長の部下であったシヌの死と彼女の遺言をきっかけに、カン課長は禁煙をします。最後にジャソンと会う場面では、煙草の代わりに棒つきキャンディーをくわえていました。*17この時、下された命令にジャソンは従いませんでした。

 カン課長は禁煙と同時に、退職を願い出ています。これは、煙草を吸うのが警官か、ヤクザだとすると、禁煙したカン課長が退職を望むのはなんら不思議ではありません。また、禁煙を頼んだシヌの遺言が課長への退職を願っていたとも取れます。

 カン課長は子供のような年頃の部下を道具のように扱う非情な父親として描かれます。しかし、いくら頭が切れても上層部に自分の案である作戦を説明することすら叶いません。彼を腹心として使うコ局長はカン課長を手放さないために、辞表を独断で退けました。彼は第一章 第一節で述べた通り、学歴が原因で実力通りの地位を手に入れられない立場にあります。カン課長もまた警察上層部の前には、道具のように扱われ、利用される存在なのです。

 削除された中にこんなシーンがあります。コンビニでカン課長がカップラーメンを食べており、シヌは穏やかな表情でそれを見ています。カン課長が煙草を吸うために、ライターを使いますが、なかなか火がつきません。それを見かねたシヌが、代わりにライターを使い課長の煙草に火をつけてやります。

 この演出から、カン課長は一人で警官として立っていた訳ではなく、シヌという献身的な娘の存在があり、警官としてなんとか立っていたのだと伺えます。シヌを失ったカン課長が煙草を吸う警官の父親として、ジャソンを従わせることは、不可能でした。

 

 

 

 

 

 

 第三節 「新世界」という青空

 

 この映画では雨や青空という天気が意図的に使われ、登場人物の転機が訪れる場面を効果的に演出しています。例えば雨はジャソンが意図せずゴールドムーン会長のポストへと近づく事件が起こる時に使われます。

 

【雨が降るシーン】

 1.会長の交通事故。*18

 2.シヌとソンムが死ぬ、倉庫の一夜。*19

 3.チョン・チョンの葬式。*20

 4.ジュングがオフィスから観た、ジャソンらがチャン・スギを殺しているであろう山の上の雨雲。*21

 5.八年前、カン課長に潜入捜査官に勧誘される。

 

 雨の前と後では、ジャソンの顔つきがどんどん変わっていくのが見て取れます。

 青空が映っているシーンは以下の2箇所です。それ以外は曇り空か、雨、もしくは晴れていても画面に映りこまないよう意図的に隠されています。

 

【青空】

 1.カン課長との最後の対面後、釣堀の外で。

 2.ジュングが拘置所を出所した時。

 

 釣り堀でのカン課長との最後の対面の後、ジャソンは普段の色調の暗い画面と一線を画す、晴れ渡った青空の下に出ます。太陽は明るく、生い茂った木の葉が風にそよいでいます。ジャソンはたたずみ、何かに気づいたように空を見上げます。*22

 この時、ジャソンは青空に見たのではないでしょうか。もはや一人前の警官ですらない、弱くなった父を殺し、兄の意思を継ぎ、自らがゴールドムーンに君臨する新世界を。

 ジャソンの他にもう一人、「新世界」の青空を見た登場人物がいます。それがイ・ジュングです。拘置所からの出所のシーンですが、画面には鮮やかな青空が広がっています。そこに、別人のような姿でジュングが拘置所から出てきます。迎えには誰も来ていません。*23

  ジュングにつきまとうもう一つのモチーフ、それは窓ガラスです。ジュングは窓ガラスに囲まれるシーンが多くあります。まず、拘置所での面会の場面では、窓ガラスごしに撮られ、その顔には丁度、模様のように空いた無数の空気穴が顔を覆うようなショットが多く見られます。このガラスの壁に閉じ込められたジュングは、面会に来たチョン・チョンの裏切りを確信し、脅しをかけ二人を隔てるガラス張りの壁を強く叩きます。チョン・チョンは己の無実を訴えますが、ガラスの壁に隔てられたジュングには届きません。あたかもガラスの壁は彼の人の話を聞き入れない頑なさを表しているようです。腹心のパク・サンフンにも間違った指示を下します。これにより、ジュングの部下は残らず失脚の道へと進みます。

 そのジュングが唯一話を聞き入れた、カン・ヒョンチョルとのシーンではガラスの壁に隔てられない部屋での会話でした。隔てられない一室で、カンの提示するチョン・チョンによる警察への密告の証拠をジュングは信じ、怒り狂います。ガラスの壁/窓ガラスという、ジュングの心の壁に隔てられていない場所は、課長の話がジュングの心に届き、あまつさえそれを受け入れたことをわかりやすく演出しています。

 ジュングの敵対する人間への敵意は窓ガラスを割ることで表現されています。作中では、3つの場面があります。

 1.葬式場にて、警察の車の窓ガラスをジュングがゴルフクラブで割る。*24

 2.チョン・チョンを轢いた車のフロントガラスが割れる*25

 3.部下に連れられ逃げるチョン・チョンらを窓ガラスごしに撮ったショット。窓ガラスが割れる。*26

 ジュングが自ら割ったのは、葬式場の車の窓ガラスだけですが、以下の二場面でも窓ガラスが割れる演出を通して、チョン・チョンらを襲撃しているのがジュング派の一派であること、そして、その背後にジュングのチョン・チョンへの強い敵愾心があることが表現されています。また、ナ・グァンフンを襲撃したジュングの手下はゴルフクラブを凶器にしていました。*27

 このように彼を取り巻いていたガラスのモチーフや、ゴルフクラブ、を失い、オールバック、ネクタイやベストという、特徴を取り上げられたジュングは、鎧を脱がされたかのように無防備な印象です。

 ジャソンが見た新世界とは「弱体化したカン課長を殺し、兄弟分のチョン・チョンの意志を継ぎ、ヤクザの会長となる」というものでした。しかし、ジュングの見た「新世界」とは、迎えのない出所のように「暴走の結果、会長の椅子は手に入らず、己の暴走のせいで部下も無くしてしまった」というものでした。

 最後、ジュングは一人で建設途中のビルにある窓もない己のオフィスに戻ります。*28拘置所を出たところには何もありませんでした。これは、このオフィスや誰もいない拘置所の出迎えのように、ジュングの本質が、未完成で、空虚であると表現されているのではないでしょうか。

 青空の「新世界」を見た後、ジュングはガラリと人が変わります。死を目前に落ち着き払い、己を殺しに来たジャソンの部下たちに煙草を吸うことの許可を求めます。*29

 この映画では、煙草を吸うのは、己をヤクザ/警察と自己認識している人間です。モチーフという虚飾を脱ぎ捨て、己の未完成さ、空虚さを受け入れたジュングは、最後まで自分がヤクザであることを再認識し、ヤクザとして死んでいきます。その彼は最早チョン・チョンが呼んだような「万年思春期」ではありません。大人の男の態度で以て、死んでいきました。

 

 

 

 第四節 チョン・チョンの愛

 

 上司であるカン課長の胸倉を掴み、シヌに激高して囲碁盤を叩いて自分がケガをする姿、とは対照的に、ジャソンと兄貴分のチョン・チョンを筆頭にしたヤクザたちとの関係は親密なものとして描かれます。それは、中華料理店でのジャソンに子供が生まれることへの祝杯や、チョン・チョンとの複数回に渡るアイコンタクト、そしてシヌ相手にもチョンを「ボス(韓国語台詞はヒョンニム=兄貴)」と呼んでしまい「チョン・チョン」と言い直すシーン*30などで、表現されています。

 ジャソンが潜入捜査官であるという事実を知っているのは、カン課長、シヌ、コ局長の三人だけでした。

 ところが、チョン・チョンがジャソンを裏切り者であると知っていたと示唆する演出があります。それはジャソンに贈った偽物のブランド時計です。偽物だと見抜かれた後、チョン・チョンの「バレた?」という発言や、「バレないと言ったろ」と部下を攻める描写があることから、わざと偽物を買っていたことがわかります。*31偽りの生活を続けるジャソンは自分が偽者であることに敏感です。怒って突き帰します。

 パク・フンジョン監督は、チョン・チョンがジャソンに偽物のブランド品を送る理由について「これに対しパク・フンジョン監督は“チョン・チョンはジャソンの正体を分かりながらも‘私は偽物と本物に関係なく君が兄弟であることを認めている’という意味をこめている”と説明した。」というメッセージを送っていました。*32

 この後、香港のハッカーに警察本庁のデータベースをハッキングさせて得た資料により、チョン・チョンと弁護士はジャソン、ソンム、シヌが潜入捜査官であるという事実を知ることになります。

 チョン・チョンはそれを知りながら、ジャソンのことだけは始末しませんでした。ジャソンの正体を示す資料を金庫にしまい、隠蔽しようとします。

 死の床でも、チョン・チョンは、 

「もう会えないと思った。会えてチョー嬉しいよ、ブラザー。」

「そろそろ選べ」

「強く生きろ、舎弟よ。それがおまえの生きる道だ。」

 と、ジャソンを案じる言葉を繰り返します。*33

 ジャソンはそこで初めて、チョン・チョンが裏切り者であるという事実を知った上で、自分を愛してくれていたことを実感します。

 カン課長の父の愛は、自分の言うことを聞け、思う通りに動け、と相手を道具のように扱う条件付きの愛でした。しかし、チョン・チョンの兄の愛は、弟がどんな人間でも、弟を助けることで自分がどんな不利益を受けても、守り愛す、という無償の家族愛でした。チョン・チョンにとって、ジャソンは本物の家族だったのでしょう。

 その後、ジャソンはチョンの遺言通り、彼の事務所の金庫から、自分が警官であるという証拠の書類を受け取ります。その中には一緒に新しいペアの時計が入っていました。あからさまに偽物であるとわかるパンダのキャラクターのイラストがプリントされた時計です。それを見て泣き笑いの表情をしたジャソンは、その時計を腕にはめることで、時を越えて兄貴の気持ちを受け取ります。*34

 また、チョン・チョンは顔に同じく偽物のブランド品であるサングラスをかけています。この偽のブランド品というのは、中国人でも韓国人でもない、韓国華僑である己のアイデンティティーを現しているという解釈もできます。ジャソンは韓国華僑には珍しい公務員である警察になるなど、韓国社会に受け入れられ、成功したいという上昇志向を持った人物でした。それが偽ブランドを身に着けることで、偽物のヤクザである己と共に韓国人でも中国人でもない韓国華僑というアイデンティティーを受け入れた場面とも取れます。

 

 近頃、日本で話題の言葉に「毒親」というものがあります。毒のように子供の人生を蝕み、阻害する親のことです。このブームのきっかけを作ったアメリカの精神科医はスーザン・フォワードは著作『毒になる親』の中で子供の毒となる親(Toxic Parents)について、「虐待やネグレクト、言葉の暴力など、ネガティブな行動を執拗に継続し、子どもの人生を支配する親がいる(例外は性的虐待で、一回でも最悪のダメージを及ぼす)。そんな、子どもにとって害をなす親」と定義しています。*35

 カン課長は脅したり、ありもしない褒美をちらつかせることで、ジャソンをコントロールしようとしていました。これはフォワードの提唱する毒親の定義にあてはまります。では、その「子」に害をなす「親」の呪いを解くには何が必要なのでしょう?

 それは、ありのままの自分を受け入れてくれる無償の愛を得ることなのではないでしょうか。

 死の床についたチョン・チョンは、裏切り者であることを知った上でジャソンの身を純粋に案じる発言を繰り返します。その言葉にジャソンは劇中では初めてチョン・チョンに自らの感情を露わにし、涙を流します。ジャソンはおそらくこの時初めて、ありのままの自分へ注がれるチョン・チョンの無償の愛情を実感できたのではないでしょうか。

 このシーンを初めて観た時、私はそれまでのこの映画の印象が覆される程のカタルシスを感じました。そしてこのカタルシスとはおそらく、チョン・チョンにありのままの存在を肯定されるジャソンの心の動きを追うことで、観客の一人である私自身もジャソンの感情を追体験し、存在を肯定されるカタルシスを得られたからではないでしょうか。

 自らの命をも犠牲にするチョン・チョンの無償の愛情で、ありのままの自分を肯定されたジャソンは、彼に背を押され、自分の道を選び取ることができるようになったのでした。

*1:新世界400万人突破記念座談会にて監督パク・フンジョンの発言

AIさん『イ・ジョンジェLOVE』(アクセス日 2014年3月18日)

http://www.loveljj.com/banana/1595609

*2:ch.18 2:09:33

*3:ch.18 2:08:20

*4:ch.18 2:10:38

*5:ch.1 0:02:12

*6:ch.3 0:15:50

*7:ch.3 0:20:46

*8:ch.5 0:34:56

*9:ch.13 1:33:35

*10:ch.13 1:33:45

*11:ch.16 1:48:00

*12:ch.1 0:07:59

*13:ch.3 0:23:48

*14:ch.16 0:54:02

*15:ch.3 0:22:34

*16:ch.12 1:26:00

*17:ch.14 1:43:16

*18:ch.1 0:03:56

*19:ch.11 1:10:20

*20:ch.16 1:50:33

*21:ch.17 2:01:10

*22:ch.15 1:44:10

*23:ch.16 1:55:18

*24:ch.2 0:12:25

*25:ch.13 1:29:47

*26:ch.13 1:31:00

*27:ch.13 1:31:56

*28:ch.17 1:59:35

*29:ch.17 2:00:25

*30:ch.5 0:34:01

*31:ch.1 0:08:34-0:09:00

*32:『P i t a p a t ::』「'신세계' 황정민은왜이정재에짝퉁시계를선물했나」 http://cruzar.tistory.com/entry/%EC%8B%A0%EC%84%B8%EA%B3%84-%ED%99%A9%EC%A0%95%EB%AF%BC%EC%9D%80-%EC%99%9C-%EC%9D%B4%EC%A0%95%EC%9E%AC%EC%97%90-%EC%A7%9D%ED%89%81-%EC%8B%9C%EA%B3%84%EB%A5%BC-%EC%84%A0%EB%AC%BC%ED%96%88%EB%82%98

*33:ch.15 1:46:29

*34:ch.16 1:53:46

*35:スーザン・フォワード『毒になる親一生苦しむ子供』

発行日:2001年10月8日 発行者:講談社

映画『新しき世界』  アウトサイダーが作る「新世界」 ―第一章 新しき父系社会

第一章 新しき父系社会

 第一節 変容する韓国の家族

 

 韓国は儒教*1に基づく父系社会です。韓国には姓が少なく、またその姓を変えることは近年まで法律で許されていませんでした。子は必ず父親の姓を継ぐことになっています。

 こうすることで、確実な父系の血が受け継がれ、その歴史は何代も遡ることができます。この血で結ばれた父系集団の結束はとても堅いものでした。

 

「韓国人の家族に対する価値観は伝統的に儒教思想に基づいている。儒教思想とは人間は子供を通して永生を得ることができ、子孫は親を通して命を得ることができると考える。(中略)このような思想から拡大家族制が理想とされ、長男を中心に家系と家産が相続される直系家族形態が普遍化してきた。」

          (金 憲/李 允碩「儒教の国・韓国の異変:家族観の変化と少子化」119.)*2

 

 ちなみに、韓国の結婚制度は伝統的に夫婦は別姓です。別姓の嫁は、父系家族におけるある種の異邦人であり、何か問題が起きた時姑や舅は嫁よりも父系集団の一員である子や孫を重視する傾向があります。

 しかし、近年では法律の改正により、女性が婿を取り、家を継ぐことが可能になりました。韓国の父系家族の崩壊、そして変容は1960年代の経済発展から始まりました。近年、それはますます加速しています。

 近代化により、韓国の父系社会は崩壊しつつあります。急速に高齢化が進み、長男、次男が都会に出ていくと、農村に残るのは老人です。また結婚をしない/できない独身者の増加、少子化、離婚率の増加など、日本人にとっても身近な問題を前に、韓国の家族観は大きく早く変わりつつあります。

 日本と韓国の大きく異なる点、それは旧来の父系集団から新しい形の父系集団への移行が見られることです。

 伝統的な血族の繋がりを韓国語で「ウリ」と呼びます。ただ最近では、密接な繋がりのある親しい人々の集団をも「ウリ」と呼ぶようになっています。その関係性は、日本の親しい友達や親戚の関係よりも濃く、「ウリ」仲間は血で繋がった同族と同じように物理的・精神的な支えとなり離れられない関係になります。まさに新しい家族の形です。*3

 この概念を知って、私が最初に思い浮かべたのは北大門組のことでした。北大門組の構成員の母体は麗水出身の華僑であり、韓国華僑*4という韓国社会におけるマイノリティーである点で強烈に結びついています。

 北大門組のボスであるチョン・チョンは皆から「兄貴」と慕われ、ジャソンを「ブラザー」と呼びます。彼ら二人は義兄弟として強い絆で結ばれていることが強調されます。

 特に中華飯店のシーンで、北大門組の従来の韓国社会とは違う家族の形が表現されています。兄貴分のチョン・チョンがその右腕であるジャソンの妻の妊娠を「生まれて来る子がジャソンに似ませんように」と中国語で祝い*5、ジャソンの補佐である年少のソンムが「奥さんに似た子が産まれますように」と同じく中国語で続けます。その後、チョン・チョンは「座ったままで」とソンムを制し、格下である彼に手づから酒を注ぎます。*6

 映画で韓国人であるカン課長*7、そしてジュングからそれぞれ肉について「韓国産の肉」かどうかを気にする台詞があります。*8これは、儒教的な価値観の残る韓国社会において、韓国華僑というマイノリティーへ注がれる抑圧を示唆していると言えます。

 北大門組は、チョン・チョンが作り上げた新しい形の家族「ウリ」でした。そこには父はおらず、いるのは韓国社会で余所者として生きるという強い圧力に耐えた兄弟たちの集団です。

 韓国社会でのマイノリティーが受ける強い抑圧を、別の角度から示唆するシーンがいくつかあります。それは延辺の物乞い、とこの映画で呼ばれる、中国の延辺に住む朝鮮族の殺し屋たちに関する一連の描写です。彼らは日に焼け、汚い服を着た不審者として登場します。へらへらと不気味な笑みを浮かべ、食事の礼儀もなっていない、野蛮人として描かれています。外を歩いているだけで、韓国人は彼らをちらちらと見、嘲笑しひそひそと噂話をします。*9

 チョン・チョンの葬式でも、彼らは弔問客に用意された食べ物を安っぽい黒のスーツと赤いシャツという格好で汚らしく食べています。*10そして、コ局長を狙撃するシーンでも、タクシー運転手に「金はあるのか」「あの車は高いんだ。朝鮮族なんかが…」と、客であるにもかかわらず馬鹿にした言葉を浴びせられます。*11

 彼らはジャソンたち韓国華僑にとって、ある種、鏡のような存在です。ジャソンは韓国に生きる中国人であり、延辺の物乞いたちは中国に生きる北朝鮮からの脱北者です。

 法的な側面からも、韓国華僑に対する差別は明らかです。長年、韓国華僑は差別的な法制度により、貿易や為替、土地取得を制限され、大学入学、就職や昇進でも問題が起こるほどでした。韓国国籍の取得が可能になったのは1997年であり、「永住権制度」の導入は2002年です。*12

 このような状況で韓国華僑として生きることがいかに困難なことかは想像に難くありません。

 北大門組は、父と子から兄と弟に変容した新たな形の父系集団「ウリ」であり、強い抑圧の中で生き残ったという絆で結ばれたマイノリティーの家族です。

 

 

 

 

 

 第二節 「父」と「兄」、二つの世界

 

 北大門組のチョン・チョンが、兄と弟の男系集団の象徴だとしたら、旧来の父と子の男系集団を象徴する人物は誰なのでしょう。それは、ジャソンの警察として上司、カン・ヒョンチョル課長です。

 潜入捜査官ジャソンは、警察とヤクザという二つの組織の間で揺れ動きます。

 「“父”への忠誠か、“兄”との絆か――。」(日本公開時コピー) 

 コピーにある通り、それはカン課長という旧来の男系集団の象徴としての「父」、そしてチョン・チョンという「兄」、二人の人間の間で揺れることでもありました。

 ジャソンはちょうど父親の年代のカン課長、ひいては警察に、認めてもらおうと捜査官として懸命に「孝行」をします。そうすれば、警察という父系社会で自分の居場所ができるとでも言うように。しかし、それはなかなか叶いません。

 反対にチョン・チョンは、ジャソンを信頼し、本物の兄弟のように扱います。華僑の部下たちもジャソンを慕い、彼ら北大門組は固い絆で結ばれています。そこではジャソンはチョン・チョンの一番の弟分として、家族の一員に迎えられています。しかし、それは潜入捜査官という身分を隠したジャソンにとっては、偽りのものです。

 「父」の組織である警察、そして「兄」の北大門組、二つの組織、「父」と「兄」の二人の人間のどちらも選べずジャソンは苦悩します。

 前述のとおり、警官の「父」カン課長と、ヤクザの「兄」チョンは、それぞれの世界を象徴する存在とし対として描かれています。二人が対になっているシーンは劇場公開版では全部で三箇所です。

 一つ目がジャソンにそれぞれが妻の妊娠祝いを渡すシーンです。チョンは中国で買ったロレックスをジャソンの妻の妊娠祝いに渡します。しかし、ジャソンはそれを「偽物だ」ということを理由に突き返します*13。カン課長の妊娠祝いは激高したジャソンによって、閉鎖された釣り堀の淀んだ池に投げ捨てられます。ジャソンは二人の贈り物をどちらも受け取りません。*14

 二人が対応しているもう一つの描写、それは死因です。チョン・チョンはゴールドムーンの駐車場で、刃物を持った大勢のジュングの手下に襲われます。*15そして、鬼神の如き大立ち回りの末、エレベーターで腹を何度も刺され、*16これが致命傷になりついには絶命します。一方、カン課長は隠れ家である閉鎖された釣り堀で、ジャソンの命令を受けた延辺出身の朝鮮族の殺し屋の一人に、刃物で腹を刺されて息絶えます。*17

 この映画で、刃物で腹を刺されて死んだ人間は、チョンとカン課長の二人だけです。チェ理事はセメントを飲まされ*18、シヌは銃で頭を撃ち抜かれ*19、ソンムはシャベルで殴打の上刃物で喉を切り裂かれ*20、ジュングの部下も刃物で喉をかっ切られ*21、チャン・スギはバットで殴打され*22、コ局長は銃で撃たれて絶命します。*23

 兵役があり成人男性の大半が銃を扱える韓国では、銃規制が厳しく、ヤクザの主な武器は刃物です。映画に出てくる銃火器は、警官か中国から来た延辺の殺し屋の持ち物です。銃火器を持っているはずの延辺の殺し屋が刃物で直接殺したのがカン課長のみだという点も考えて、意図的な演出であると言えます。

 対応する最後のシーンは、回想です。ラストシーンで会長イ・ジャソンというネームプレートのあるデスクに座り、ジャソンは二つの記憶を思い起こします。それはカン課長と出会った10年前の雨の日。*24そして、チョン・チョンと襲撃に行った、6年前の麗水でした。

 このように、カン課長とチョン・チョンは画面上で繰り返し対になる存在として表現され、旧来の父と子の男系集団、そして兄と弟の男系集団を象徴する人物として描かれています。同時に、ジャソンにとって二人が重要な人物であることが強調されています。

 最終的に、ジャソンは、「兄」であるチョン・チョンの遺した北大門組を選び、「父」であるカン課長を殺します。新しい兄と弟の男系集団である北大門組が、旧来の男系集団である警察のチームを倒す、という構造です。これは現実の韓国で起こっている、旧来の父系集団から新たな父系集団の移行が、北大門組、そして警察との闘争を通して象徴的に描かれていると言えます。

 

 

 第三節 旧体制との闘争

 

 主要人物達は大まかに二つの世代に分けられます。

 1.カン・ヒョンチョル課長、コ局長、ソク会長、チャン・スギ理事、チェ理事(旧世代、五十~六十代)

 2.イ・ジャソン、チョン・チョン、イ・ジュング (新世代、三十~四十代)

 新世代は旧世代に表面上は従っています。しかし、最終的には旧世代が新世代に殺害されるという結末になるのです。『オイディプス王*25の時代からある父殺しの物語です。*26カン課長、コ局長、チャン・スギはイ・ジャソンによって殺されました。空港での会話により、チョン・チョンが邪魔なチェ理事に裏切り者の疑いをかけ殺害したことが示唆されています。*27また、イ・ジュングとチョン・チョンの拘置所での面会シーンにより、二人のどちらかがソク会長を殺害した可能性がほのめかされています。*28

 新しき世界は、「息子」である第二世代が「父」である第一世代を殺すという、「父」殺し、そして世代の闘争の物語である側面を持っています。

 新世代であるジャソン率いる北大門組が最終的な勝利者となります。イ・ジュングのジェボム組、チャン・スギ率いるジェイル組、そして介入しようとしていたカン課長、コ局長という警官、全てが北大門組によって倒されるのです。

 北大門組に、旧来の男系集団から、新たな男系集団への移行が描かれているというのは第一章 第一節で触れた通りですが、同時に旧世代から新世代への世代交代も進んでいます。

 

 このように、映画に出てくる主要な登場人物達は年齢も立場も様々ですが、それぞれに古い体制との戦いを抱えています。

 カン課長もまた、旧体制との闘争を背負っていました。それは学歴社会との戦いです。カン課長は映画で相当な実力を持った刑事として描かれています。彼は、韓国最大の犯罪組織を撲滅する大規模な作戦、「新世界プロジェクト」の提案者であり、司令塔です。しかし、肩書きはソウル地方警察庁捜査企画課の課長に過ぎません。このことから、彼が警察大学校出のエリートではなく、警察養育院出の、学歴を持たない叩き上げの刑事である可能性を示唆しています。

 本作の監督であるパク・フンジョンが脚本を担当した、映画『生き残るための3つの取引』*29では、実力や実績は十分にありながら警察大学校出という学歴がないために昇進ができず、それ故に悪の道に落ちていく刑事チェ・チョルギの物語を描いています。

 未だ実力より、学歴が重視される韓国警察で、学歴のない叩き上げの刑事がどのような道を選ぶか、というのはパク・フンジョンの重要な主題の一つと言えます。

 第一章第一節で言及した通り、ジャソンとチョン・チョンはマイノリティーとして差別を受ける韓国華僑です。主要人物の三人全てが、韓国社会の体制により何らかの不利益を受けている、恩恵から外れた人間として設定されています。このことから、パク・フンジョン監督の現代の韓国社会に残る学歴社会、マイノリティー差別に対する批判的な視線が読み取れます。

 

 ここで、疑問が浮かんで来ます。何故、父と子の男系集団から、兄と弟の男系集団への交代は、韓国人の集団ではなく、韓国華僑の手によってなされたのでしょうか。何故、イ・ジャソンは韓国人ではなく韓国華僑として設定されたのでしょうか。これについては、第一章 第三節でチョン・チョンとジャソンのライバルである韓国人の幹部、イ・ジュングを通して解き明かします。

 

 

 第三節 マジョリティーとマイノリティー、そしてアウトサイダー

 

 新しき世界の特徴的な点は、旧世代と新世代の抗争において、最後の勝利者が韓国人ではなく、韓国華僑というマイノリティーのイ・ジャソンであるところです。

 では何故、チョン・チョンやジャソンと同世代の韓国人であるイ・ジュングは、最後の勝利者となりえなかったのでしょうか。

 パク監督は、好きな映画として『ゴッドファーザー』シリーズ*30と『インファナル・アフェア』シリーズ*31を上げています。*32イ・ジョンジェへのジャソンの役作りのアドバイスとして、イ・ジョンジェには堂々と話しました。映画の中盤部まではインファナル・アフェアトニー・レオンと同じだったら良くて、後半にはゴッドファーザーアル・パチーノと同じだったらいいと。」*33と発言しています。

 インファナル・アフェアのヤンの潜入捜査官の苦悩、ゴッドファーザーの主人公マイケルのカタギの青年からマフィアのドンへの変貌、という物語や精神性を受け継いだのはジャソンですが、イ・ジュングにはパク監督の愛するマフィア映画のディテールや、場面の引用が見られます。

 イ・ジュングは他の映画からのイメージの引用が多く見られる登場人物です。例えば、ゴールドムーン初代会長ソクの葬式場での警官らとのやりとりです。葬式の参列者を撮影している警官らに怒り、ジュングはカメラを破壊します。*34そしてカン課長とのやり取りの末、カン課長に請求されたカメラの弁消費である札を地面に投げます。*35これは『ゴッドファーザー』の冒頭の、マフィア一家コルレオーネ一族の結婚式でのマフィアと新聞記者のやりとりからの引用です。*36

 また、ジュングがビルの上からゴルフボールを打つシーン*37、これには『インファナル・アフェア』での海に面した練習場で、アンディー・ラウと上司がゴルフボールを打つシーンの影響が予想されます。

 三つ揃えを着た洒落者のイ・ジュングはゴルフクラブをトレードマークのように持ち歩いています。ゴルフクラブで警官の車の窓ガラスを破壊し、建設途中のビルでゴルフボールを打ち、部下や他の理事に拍手を強要する、それがイ・ジュングです。ゴルフは韓国でも富裕層のスポーツですが、その大げさな演出は、ゴルフに打ち込む成功者というよりは、気に入りのおもちゃをどこにでも持ち歩く子供のようにも見えます。

 

(チョン・チョンは警察にのみ、尊敬語を話しますねという質問に対し)チョン・チョンは華僑出身でマイノリティーの中のマイノリティーです。そんな境遇で組織のNO.2までのし上がったのは幼い頃から生存本能がとても強かったからです。反対にイ・ジュングには恐いものがない。はじめから暗黒街のマジョリティーでした。だから警察も恐ろしくないのです。*38

 

 マイノリティーとして苦労をして来たチョン・チョンと対照的に、ジュングは暗黒街のマジョリティーであると意図的に設定されています。チョン・チョンは本編でジュングについて「万年思春期」*39と評しました。ジュングは、怒りを抑えることができず、誰にでも尊大な態度を取る、恐れ知らずの人物として描かれます。確かに思春期の反抗的な怒れる少年のようです。

 また、ジュングのオフィスは建設途中のビルの高層部にバーやソファーセットをしつらえて、自分の事務所としています。壁もまだない、むき出しのコンクリートのオフィスという奇異な事務所です。これは彼の人格がまだ未完成であり、彼の精神の未熟さを表しています。*40

 三つ揃えのスーツや、オールバック、ゴルフクラブ等、ジュングが外面に纏っていたモチーフは、最後には全て剥奪され、何も持たない彼だけが残ります。

 ジュングは、外面だけを取り繕いながらその実中身がなく、精神が未熟で自分をコントロールできない人間であると描かれています。

 監督のパク・フンジョンは、映画公開当時40歳でした。*41イ・ジュングと同世代です。同世代の三十~四十代の韓国人を、パク・フンジョンはこのような批評的目線で捉えているのではないでしょうか。

 一方、監督、パク・フンジョンは韓国華僑であるチョン・チョンについて、

大韓民国でマイノリティーとして生きていくということは本当に難しいことだった。マイノリティーに対して抑圧が激しい国なのに。そこで生き残って自身の地位を固めたとすれば、ふつうまぐれではない。」*42

 と語っています。

 韓国華僑の人口は現在2万人ほどで、多くはソウル、仁川、釜山に居住しています。麗水は特に華僑の多い地域ではありません。*43このことから、監督が意図的に、ジャソンやチョン・チョン、そして北大門組を、韓国華僑の中でも更なるマイノリティーとして設定していることがわかります。

 この映画では、より強い逆境に耐えたものが、強い生存能力を勝ち取り、最後に生き残るという法則があります。

 上記のようにパク・フンジョンは、チョン・チョンを韓国社会という逆境で生き残った生存能力の強い人間の代表として挙げています。そこで新たな疑問が浮かびます。何故チョン・チョンではなく、ジャソンが最後まで生き残り会長となったのでしょう。それは、チョン・チョンよりも更にジャソンの方が帰属集団を持たない孤独な人間だったからです。華僑、そして更に少数しかいない麗水出身、チョン・チョンとジャソンは同じ大変なマイノリティーです。しかし、北大門組という帰属集団を持っていたチョン・チョンと違い、潜入捜査官であるジャソンは北大門組にも、警察組織にも完全に所属することはできませんでした。チョン・チョンは韓国社会のアウトサイダーでしたが、ジャソンは北大門組でも警察でもアウトサイダーでした。より強い孤独に耐えた者が最後に生き残ります。

 旧世代韓国人のチャン・スギ率いるジェボム組、新世代韓国人のイ・ジュングが率いるジェイル組。そのどちらでもなく、若い異邦人であるイ・ジャソンが率いる韓国華僑の北大門組が、マジョリティーを制しゴールドムーンの覇権を握りました。これは現在の韓国社会を変えるには、旧世代に育てられた新世代ではなく、逆境の中抑圧に耐え、更に強い孤独を乗り越えたアウトサイダーが必要だという、監督の考えが反映されているのではないでしょうか。

 

*1:中国で前漢武帝董仲舒(とうちゆうじよ)の献策で儒家の教説を基礎に正統教学として固定し,以後,清末までの王朝支配の体制教学となった思想。この儒教は,政治・文化の担い手であった士人(官人地主層)の主たる思想となり,その歴史・社会の変化に応じて,仏教・道教の教説を受容して教義を豊かにしたが,この儒教思想の史的展開がとりもなおさず前近代中国の思想史の主流をなす。したがって郡県制帝国の王朝体制が克服される近代化の過程で,儒教は思想・文化上の打倒目標となり批判された。

*2: http://ci.nii.ac.jp/els/110006610369.pdf?id=ART0008582314&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1395927019&cp= (アクセス日 2014年3月26日) 

*3:森下喜一『韓国社会の基本的人間関係「ウリ」』http://www.pwpa-j.net/opinion/newparadigm03_morishita.html (アクセス日 2014年3月18日) 

*4:1880年代以降、朝鮮半島には中国人が全域に暮らし韓国の華僑社会を形成し始めていた。1948年に樹立した韓国政府は自国民の利益を守ることを最優先とする方針が打ち出されたが、韓国華僑は"国民"の範疇から除外されたため外国人として制度的に差別を受け続けることになる。

翌49年に制定された「外国人の入国出国と登録に関する法律」により、韓国華僑は管理と監視の対象となった。これにより韓国華僑の人々は差別的な法制度によって貿易や為替、土地取得などを制限された。この法律は63年「出入国管理法」の制定まで運用された。

70年代末から韓国華僑の数は大幅に減り、台湾への移住者が増えた。理由の一つに韓国の大学入学の際に大きな問題を経験したことがある。

中国との国交が樹立された92年以降、制度の撤廃や是正に向かう。97年には「国籍法」が全面的に改正され、韓国国籍の取得が可能となったが、社会福祉障碍者福祉などは適用除外になり、国民年金制度の運用、教育と進学などに関する制約には合理的とは思えない差別が残ったといわれている。2002年に「永住権制度」が導入され、永住が可能になる。

若い世代の韓国華僑は"韓国化"しているが、「韓国人ではない」という意識を持つ者も多い。また、制度は改善されてきているものの、依然として就職や昇進などの差別は残っているともいわれている。

現在、韓国華僑は勧告に滞在している全外国人の10分の1未満でしかないが、国内に永住している唯一の外国籍民族集団である。

*5:ch.4 0:31:44

*6:ch.4 0:32:07

*7:ch.2 0:15:38

*8:ch.7 0:48:28

*9:ch.7 0:52:53

*10:ch.16 1:52:20

*11:ch.17 2:05:03

*12:『新しき世界』パンフレット
発行日:2014年2月1日発行者:高澤吉紀発行:彩プロ

*13:ch.1 0:07:59

*14:ch.3 0:23:48

*15:ch.13 1:29:30

*16:ch.13 1:31:53

*17:ch.17 2:05:04

*18:ch.1 0:02:14

*19:ch.11 1:17:45

*20:ch.11 1:15:46

*21:ch.13 1:31:43

*22:ch.17 2:01:26

*23:ch.17 2:06:23

*24:ch.17 2:07:19

*25:ギリシャ悲劇。ソフォクレス作。紀元前420年代初期(?)に上演。オイディプス伝説を題材とし,真理の発見が運命の逆転に至るさまを描いて,アリストテレス以降,悲劇の筋構成の模範とされた。

*26:vertigonote @vertigonote: 私なんのかのいってあの種の映画において「父殺し」がテーマになってるのが好きなんだろうなー。実際の結末はどうであれ、演者がギリギリのとこで本気で大物狩りに挑んでってるかんじがみえるとたまらないんだよなー。

*27:ch.6 0:44:42

*28:ch.8 0:58:38

*29: 『生き残るための3つの取引』(2010) 

*30:フランシス・フォード・コッポラ監督『ゴッドファーザー』(1972)、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974)、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(1990) 

*31:アンドリュー・ラウ&アラン・マック監督『インファナル・アフェア』(2002)、『インファナル・アフェア無間序曲』(2003)、『インファナル・アフェアIII 終極無間』(2003) 

*32:劇場パンフレット

*33:신세계박훈정감독인터뷰

http://supianhyun.tistory.com/m/post/7 (アクセス日、2014年6月13日) 

*34:ch.2 0:12:25

*35:ch.2 0:14:54

*36:『Extreme Movie』「‘신세계’박훈정 감독인터뷰」http://www.extmovie.com/xe/article/55561 (アクセス日2014年6月8日) 

*37:ch.5 0:36:40

*38:『<GQ> 2013년 12월호』「박훈정이찾은멋진신세계」 http://www.gqkorea.co.kr/content/view_02.asp?menu_id=04030100&c_idx=012203050000009 (アクセス日、2014/6/13) 

*39:ch.4 0:28:04

*40:韓国版DVDコメンタリーより。(ch.5 0:36:31-0:3650)

パク・ソンウン「(何故あの場所をオフィスにしてるかと聞かれ)映画には全部意味がある。まだ未完、ジュングという人は…」

パク・フンジョン「ジュングはそのまま格好のために生き、格好のために死ぬ(=その人にとって格好をつけるのはものすごく大事)」 

*41:『dongA.com』‘신세계’감독박훈정 “정치하는깡패들통해권력이뭔지묻고싶었죠”

http://news.donga.com/Main/3/all/20130321/53883586/1 (アクセス日 2014年9月8日) 

*42:『extmovie』「읽을거리›익스트림피플› '신세계' 박훈정감독인터뷰」
http://www.extmovie.com/xe/article/55561 (アクセス日 2014年3月18日) 

*43:用務員『変化する韓国華僑への「まなざし」』(アクセス日 2014年3月21日)

http://www.page.sannet.ne.jp/hayaf/manazashi.htm

映画『新しき世界』  アウトサイダーが作る「新世界」 ―序論

映画『新しき世界』  アウトサイダーが作る「新世界」

 有狩(あるかり)

 

 

 

 現在、日本は様々な問題を抱えています。広がる貧富の差、若者の貧困、ブラック企業高齢化社会、年金システムの危機、解消しない低い出生率、思うように進まない女性の社会進出。我々は常に強いストレスとプレッシャーに晒されています。現代に生きる我々が抱く日本の未来とは決して輝くような明るいものではありません。

 日本の自殺率は先進国の中でも非常に高く、2010年度には全死亡原因の内24.9%*1という数字を示しています。しかし、そんな日本よりも更に高い自殺率を示す国がありました。お隣の国、韓国です。

 2010年、韓国の自殺率はWHO統計で世界一位となりました。全死亡原因の内自殺の締める割合は、31.9%。*2日本の24.9%を上回っています。

 このニュースを知った時、私は驚きを覚えました。韓国で何が起こっているのでしょうか。韓国に生きる人々は我々と同じ、もしくはそれを上回るような強いストレスと抑圧の中で生きているのでしょうか。

 そんな時代の韓国でパク・フンジョン*3監督作品、映画『新しき世界』*4は作られました。

 この映画は重苦しいトーンに包まれています。青みがかった画面の色調、暗い色のスーツを着た男たち、警官とヤクザの間で引き裂かれ苦悩するジャソンの表情のアップ、空を覆う灰色の雲、そして激しい雨。

 私は、映画を包む重苦しさは、監督パク・フンジョンが捉えた現代韓国社会の空気なのではないかと考えました。

 主人公イ・ジャソンは警官でありながら犯罪組織に潜入している捜査官です。警官であるジャソンは長い潜入期間に、だんだんとヤクザの世界に染まっていきます。彼は警察、ヤクザという二つの組織、そして、警官の上司カン課長とヤクザの兄貴分チョン・チョンという二人の人間の間で悩み、揺れ動きます。 最終的に、彼はヤクザの世界で生きることを選び、犯罪組織ゴールドムーンの会長に就任します。 犯罪組織内のライバル達、そしてジャソンが潜入捜査官であることを知るカン課長までも葬り去って。

 ジャソンは韓国華僑という韓国社会のマイノリティーです。そのジャソンが、マジョリティーである韓国人のイ・ジュングを差し置いて最後の勝利者になります。

 ジャソンがその決断に至る際に、重要なシーンがあります。それは、重症を負ったチョン・チョンとの病室での今生の別れです。*5

 私はこのシーンに映画そのものの印象を覆されるようなカタルシスを感じました。そして、おそらくこのカタルシスの理由こそが、ジャソンがヤクザの道を選ぶに至った理由であり、この映画の中核を成す部分ではないでしょうか。

 第一章では、変わり行く現代韓国社会の現状を父系家族という観点から説明し、警察と北大門組―そしてカン課長とチョン・チョンという人物の対比から、新しき世界で描かれる世代交代の構造を説明します。

 また、第二章では、煙草の演出から二つの組織の間で揺れ動くジャソンの心の動きと決断に至る理由、そして何故韓国華僑というマイノリティーであるジャソンがゴールドムーンの会長になったのかを解き明かしたいと思います。

*1: 『平成22年中における自殺の概要資料』警察庁生活安全局生活安全企画課 http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/H22jisatsunogaiyou.pdf を参照(アクセス日、2014/6/13) 

*2: 『nocutnews』「1일평균 42.6명자살 OECD 1위…한국 ''자살공화국'' 불명예」http://www.nocutnews.co.kr/news/872972 (アクセス日 2014年3月21日) 

*3:パク・フンジョン監督

高校卒業後、映画監督を志すも、方向転換し脚本家を目指す。映画学校に通うことなく独学で脚本を書く。2008年頃書いた2本のシナリオがそれぞれキム・ジウン監督作『悪魔を見た』(2010)、リュ・スンワン監督作『生き残るための3つの取引』(2010)として映画化され、注目を集める。

初監督作品は日本未公開の時代劇『血統(原題)』(2011)。2作目の監督作品となった本作『新しき世界』(2012)は韓国で470万人動員の大ヒットを記録。第34回清流映画賞監督賞、第50回大鐘賞監督賞、第49回百想芸術対象映画部門 新人監督賞にノミネートされる。

高校卒業後、映画監督を志すも、方向転換し脚本家を目指す。映画学校に通うことなく独学で脚本を書く。2008年頃書いた2本のシナリオがそれぞれキム・ジウン監督作『悪魔を見た』(2010)、リュ・スンワン監督作『生き残るための3つの取引』(2010)として映画化され、注目を集める。

 

初監督作品は日本未公開の時代劇『血統(原題)』(2011)。2作目の監督作品となった本作『新しき世界』(2012)は韓国で470万人動員の大ヒットを記録。第34回清流映画賞監督賞、第50回大鐘賞監督賞、第49回百想芸術対象映画部門 新人監督賞にノミネートされる。

 

高校卒業後、映画監督を志すも、方向転換し脚本家を目指す。映画学校に通うことなく独学で脚本を書く。2008年頃書いた2本のシナリオがそれぞれキム・ジウン監督作『悪魔を見た』(2010)、リュ・スンワン監督作『生き残るための3つの取引』(2010)として映画化され、注目を集める。

初監督作品は日本未公開の時代劇『血統(原題)』(2011)。2作目の監督作品となった本作『新しき世界』(2012)は韓国で470万人動員の大ヒットを記録。第34回清流映画賞監督賞、第50回大鐘賞監督賞、第49回百想芸術対象映画部門 新人監督賞にノミネートされる。

*4:

『新しき世界』原題:신세계、英題:NEW WORLD

2012年/韓国/韓国語・中国語/134分/カラー/デジタル/スコープ/PG12/日本語字幕植木理恵/提供・配給:彩プロ/宣伝:ムヴィオラ

エグゼクティブプロデューサー:キム・ウテク/制作プロデューサー:ハン・ジェドク、キム・ヒョンウ/監督・脚本:パク・フンジョン/プロデューサー:パク・ミンジョン/撮影:チョン・ジョンフン/照明:ペ・イルヒョク/美術:チョ・ファソン/録音:チョン・グン/編集:ムン・セギョン/音響:キム・チャンソプ/音楽:チョ・ヨンウク/特殊効果:DEGITAL IDEA/衣装:チョ・サンギョン/メイクアップ:キム・ヒョンジョン

キャスト:イ・ジャソン(イ・ジョンジェ)/カン・ヒョンチョル課長(チェ・ミンシク)/チョン・チョン(ファン・ジョンミン)/イ・ジュング(パク・ソンウン)/シヌ(ソン・ジヒョ)/コ局長(チュ・ジンモ)/チャン・スギ理事(チェ・イルファ)/ヤン理事(チャン・グァン)/殺し屋(キム・ビョンオク)/オ・ソンム(キム・ユンソン)/ヤン・ムンソク(ナ・グァンフン)/ハン・ジュギョン(パク・ソヨン)/パク理事(クォン・テウォン)/キム理事(キム・ホンパ)/ソク・ドンチュル会長(イ・ギョンヨン)

劇場用パンフレットを参照。

「あらすじ」韓国最大の犯罪組織ゴールドムーンの理事であるイ・ジャソン。犯罪組織の幹部である同じ韓国華僑の兄貴分、チョン・チョンの右腕として働いている。しかし、ジャソンの正体は、カン課長に潜入捜査を命じられた警察官だった。彼の正体を知るのは、カン課長、連絡役のシヌ、コ局の三人だけである。長年に及ぶ潜入捜査に、ジャソンの心は次第に、警官の職務と、チョン・チョンを始めとするヤクザの兄弟分たちとの絆の間で揺れ動き、苦悩するようになっていた。そんなある日、ゴールドムーンの会長であるソクの交通事故死し、後継者争いが勃発する。ゴールドムーンは、ジェボム組、ジェイル組、北大門組の3つの組を統合し、企業化した犯罪組織であり、争いはソクの右腕だったジェボム組出身のイ・ジュングと、実質No.2である元北大門組組長のチョン・チョンとの一騎打ちと目される。カン課長はジャソンの情報を元に、暗躍を始める。カン課長との取引を断ったチョン・チョンはハッカーを使い、シヌと弟分のソンムが警察官であることを突き止め、ソンムをジャソンの前で殺す。シヌはジャソンが撃ち殺した。逮捕されたイ・ジュングはカン課長の計略により暴走し、部下を使ってチョン・チョンを襲撃し瀕死の傷を負わせる。襲撃の最中ジャソンの息子を身ごもっていた恋人のジュギョンが流産してしまう。ジャソンはカン課長からチョン・チョンがジャソンが潜入捜査官であることを知っていると告げられ、元ジェイル組組長チャン・スギと組みゴールドムーンを影から支配することを命令される。チョン・チョンの死の間際、己の命が危なくなろうと自分を兄弟として守ってくれたチョン・チョンとの絆を実感するジャソン。ヤクザとしての人生を選んだジャソンは、己の出自を知るカン課長、コ局長、邪魔者のイ・ジュング、チャン・スギを殺し、会長に就任する。会長席で煙草を吸いながらジャソンは、カン課長との出会い、そしてチョン・チョンと出会った頃のことを一人回想するのだった。 

*5:ch.15 1:45:43